エリア51の科学者だったと自称する、ボブ・ラザーの奇妙な行為
■ The strange behavior of Bob Lazar
(alleged former Area 51 "scientist")
by Norio Hayakawa, July 5, 2006
[Norio Hayakawa ハヤカワ ノリオ]
http://www.hometown.aol.com/area51watch/page2.html
私は、ボブ・ラザーの正当性を主張する為に、此処にいるのでは
無い。あるいは彼をこきおろす為に、此処にいる訳でも無い。
実際の所ボブ・ラザーはUFO研究者と社会全般的には、ペテン師と
して分類される。けれどもボブ・ラザーは、彼が言った通りの
人物であり、彼が主張した事全てをやっていた、と信じ続けて
いる何人かの人達はいまだ存在する。
完全にこの上なく強固に、ボブ・ラザーの主張を支持する人物が、
KLAS-TVの目撃証言ニュースの総合司会者、ジョージ・ナップ。
そしてもちろん、ボブの友人でラスベガスの不動産鑑定士の
ジーン・ハフも。
ボブ・ラザーは、完全なペテン師か?
私にはまだわからない。私はいまだ答えの出ない幾つかの疑問
がある。
ボブ・ラザーの年代表に関しては、トム・マフードが1994年に
公表した、The Robert Lazar Timelineが世界的に良く知られる。
http://www.serve.com/mahood/lazar/timeline.htm
だがしかし、ジーン・ハフが1995年にその年代表に反証を挙げた
事は、多くの人は必ずしも知らない。しかしゲイリー・セラニの
おかげで、そのジーン・ハフの1995年の反駁が、最近再度
dreamlandresort.comに掲載された。
http://www.serve.com/mahood/lazar/synopsis.htm
上の方で私が言ったように、個人的には、ボブ・ラザーに関して
いまだ答えの無い幾つかの疑問がある:
1990年2月21日、日本の日本テレビの撮影班と私の合計7人は、
ボブ・ラザーのラスベガスの住居に訪問してインタビューする
機会があった。これはボブの友人で不動産鑑定士のジーン・ハフ
を通して可能になった。私の記憶の及ぶ限りでは、大体午前11時
頃、ボブの住居に到着した。彼らは我々を居間に連れて行った。
私にはその時のそこは、完全に調度品がそろって「生活感」の
ある部屋であるようには見えなかった。彼らはボブの研究室も
我々に見せた。私にはそこも必要なものがそろっているようには
見えなかった。本棚の少数の物理学の本と、彼のデスクにあった
コンピュータだけ。いずれにせよ私は単に通訳としてそこにいた
わけで、インタビューは雑誌のライター主導で行われた。
インタビューはおよそ2時間続いた。
我々が彼の家に着いた時には、5人か6人位の男がその家の中に
いた。最初私は、彼らが単にボブの友人だと思っていた。だが後
に、その男の中の数人の、普通で無い何かに、私は気がついた。
居間やボブの研究室など全体のインタビューを通して、2人の男
がボブの両脇に常にいた。彼らのうちの1人は、長方形の黒い通信
装置を持っているようだった。おそらくそれは携帯電話のような
ものの可能性がある。(1990年には、すでにそれは存在したが)
我々がキッチンの部分に移動すると、その2人もボブと並んで
移動した。我々がボブの研究室に移動した時も、その2人はボブ
と供に移動した。それで私はボブに尋ねた。「こいつらは誰だ?」
ボブはシンプルに言った。「気にするな。ただの友達だ。」
多分それだけで特に何も無かった。だが私はこれを表に出す事を、
まさに思いついた。何故ならインタビュー全部を通じ、最も私が
印象に残ったものの1つがそれだからだ。ボブについて私は
どのように思っているのか?いまだ結論に到達出来ないでいる。
ともかくその水曜の午後の後、テレビクルーと私はラスベガスか
ら約2時間車をドライブし、グルーム・マウンテンの上を上昇す
る物体のテスト飛行が見れるだろうとボブが言っていた地点に
到着した。そして日没直後にテレビカメラその他を準備した丁度
その後、ハイウェイ375のすぐ横の砂利道の上で、確かにそれを
見た!大体午後6時45分前後、グルーム・マウンテンの上に明る
いオレンジ色の光が現れ、幾つかの興味深い飛行をするのを、
我々は見た。私はその時、かなり強い印象を受けた。およそ7時
15分、別の光がやって来た。当時エリア51は良く知られた名前に
なる前であったのだが、いずれにせよ、これが私のエリア51に
対する本当の興味の始まりだった。
それから数年の時を経て、私のそれらの目撃に関する初期の興奮
は去った。私は、それらの光は我々人類の飛行機の試験飛行だっ
たという結論に達した。(それはより新たな黒い三角形形状の
飛行機のプロトタイプ機か、そして恐らく「無人飛行機」、さら
に「無人戦闘機」やその他の遠隔操縦のハードウェア環境での、
初歩的段階のテストフライトの可能性もある)
またそれから数年が経過すると、私には同じようにボブ・ラザー
に関する幾つかの疑問が生じ始めた。数年後、私はボブ・ラザー
の給与明細のコピーを見た。それは多額ではなかった。およそ
987.00ドルかそんな程度。それからボブ・ラザーの社会保障番号
が、彼の所有ではなく、ニューヨークの女性の所有していた番号
であった事を私は発見した。
さらに、1990年3月初頭、エリア51の日本の2時間の生番組に出演
する為に日本へ渡る約束をボブ・ラザーが守らなかった事で、私
には彼に対する疑問が生まれ始めた。私は彼のベガスからロスへ
の飛行機の搭乗を待っていた。私はそこで彼を待っていた。
だが彼は現れなかった。後にテレビ番組のプロデューサーから、
ボブ・ラザーの番組出演の為の日本への渡航が許可されなかった
という彼の緊急電話の話を聞いた。これは完全に期待はずれ
だった。
日本での生放送番組にボブ・ラザーが出演するのを保証した現金
(謝礼金)を、彼はすでに所持していたので、その後私は、
さらに悪い印象を得るに至る。しかしながら多くの米国国民が
いまだエリア51など知りもしなかった1990年の3月中旬、2時間の
プライムタイムのエリア51の特別番組は日本で放送された。
(番組中の生出演部分は省かれたが)そしてその国の何百万人
もの人達がそれを見た。
ボブ・ラザーについて私はどう考えるか?前にも言ったとおり、
私はまだ彼を決定的に捨て去る事は、完全には出来ない。
彼は科学とテクノロジーの、間違いなく天才。世界中の人々は
今、アルバカーキの隣、ニューメキシコ、サンディア山脈に
ボブ・ラザーが移動していることを知っている。私の理解では、
彼は防衛に関連する各種の下請け会社(直接的契約者ではない)
の為の請負仕事を、時々行っている。さらに現在の彼の活動には、
米国の原子力事業が含まれる。
ボブ・ラザーは偽情報作戦の一部だったか?
彼は偽情報戦の策略の意図的な参加者か?もしくは意図的で無く
とも、操作されていたのか?私にはわからない。同様に私が知っ
ているのは、ボブ・ラザーがニューメキシコで働いていた当時、
莫大な借金を負っていた事。それは彼がネバダに引っ越してくる
前のことだ。
また同様に私は、エリア51が地球外生命のテクノロジーと関係が
あったという説を信じる階層の人達や、積極的に押し広める階層
の人達の信念から、米空軍が何らかの利益を得ていた事を
知っている。それは、エリア51に「嘲笑のカーテン」をもたらすの
をはっきりと援助する。そしてそれは表側を飾る
「カバー・ストーリー」として必要だった。「カバー・ストーリー」は、
ある特定のプロジェクトを実行中の防衛関連企業の手により、
慎重な研究者のその種のプロジェクトへの詮索の注意をそらす為
に、または「嘲笑のカーテン」をもたらす為に、時に創出される
と私は考える。だが私が間違っている事も十分ある。
ボブ・ラザーの奇妙な行為 パート2に続く
■ My Recollections Of The Enigmatic Bob Lazar ...
Alleged Former Area 51 'Scientist'
[rense.com - By Norio Hayakawa 7-8-6]
http://www.rense.com/general72/recoll.htm
Related Link:
■ Superheavy Elements 115 & Bob Lazar
超重量元素115の発見とエリア51、S-4の科学者ボブ・ラザー
http://conspiracy.exblog.jp/1939069/